掛布さんが好き、片岡さんが好き、渡辺くんが好き。DNAがタテジマなsoraの野球話。
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
sora [ ソ ラ ]
右打右投
性別:女
星座:さそり座
血液型:O型
特技:へんなあだ名付け
■DNAがタテジマの幼少期~小学生
大阪の片田舎、典型的な阪神ファンの家庭に産まれる。
負けてる試合は気分悪いので見ない。勝ってる試合は見ると逆転されるので見ない。
そんな家庭。
それでも幼稚園の時点で六甲颪と選手のヒッティングマーチは歌えた。
珍しく試合の中継をたくさん見た年は、カケフさんが打ちまくってキーオが投げまくっていた。
優勝した。
カケフのおかげだと幼心に思った。
優勝が決まる日の試合は、父がいそいそとビデオをセットしていた。ベータなので今はもう見れない。
ふだんは買わない新聞や雑誌を父はたくさん買ってきた。
小学校には阪神の下敷きやら帽子やらの男子がたくさんいた。タテジマの帽子が欲しかったけど親には言えなかった。
ある日、カケフさんがケガをして試合に出なくなった。悲しかった。
真弓さんが4番を打つ姿を見て、あぁこんなすごい人が1番バッターやったなんて、あのときは強かったんや、と思った。
ドラフトで湯舟さんが入った。
阪神に入りたいと最初から言ってくれてたのに球団は小池を指名して外し、「ほんなら最初から湯舟にしとけよ」と小学生ながら思った。
■上から目線の中学生~大学生
中学生になり、亀山・新庄ブームが来た。
部活の先輩が「新庄さまv」とミーハーファンになっていて毎日話を聞かされた。
たしかにかっこよかったし面白かったけど、私は久慈さんのほうが活躍していると思っていたので、久慈さんが新人王を獲ったときは「やっぱり大人は久慈さんをちゃんと見てるんや!」と嬉しかった。
桧山が4番になった。
「たしかに他におらんけど、桧山て!」と思った。
しかし桧山のことは好きだった。
顔が可愛くて喋りも達者なので、母ともども応援していた。でも三振王になった。それでも4番はひぃやん以外考えられなかった。
和田さんの打率くらいしか明るい話題はなかった。
藪くんも応援していたがやっぱり勝てなかった。
そんな暗黒時代に活躍していた関川さんと久慈さんがトレードで移籍になった。本気でびっくりして、移籍がこんなに悲しいことだとはじめて知った。
またドラフトがあった。
今度は高校生ピッチャー藤川を1位指名したので、「この低迷期になんで高校生獲っとんねん!即戦力を獲れよ!」とマジギレした。女子大生とは思えない科白だった。
若い浜中とひぃやんと熾烈なポジション争いが始まった。
私はひぃやんを応援していたが、母はいつの間にか浜中が好きになっていたらしく、「どっちも出てほしいわ~」と苦悩していた。
FA制度ができ、片岡さんが来た。涙の移籍会見に感情移入して、これからよろしくね、と思った。
片岡さんはなんかやってくれそうで超期待したが、わりとすぐケガをした。
私はこの頃に音楽に目覚め、ライブに行きまくるようになった。少しだけ野球から遠ざかった。
■甲子園デビューした社会人
金本さんが来た。来て欲しかったので、土下座したファンにグッジョブ!と思った。
これまた何かしてくれそうだと思ったら、金本さんは本当に大事なところでばかり打ってくれて、なんと優勝した。
この頃は社会人になっていた私は毎日『すぽると』さえ間に合わない時間にしか帰宅できず、あまり中継は見てなかったがネットの一球速報を会社で見ていた。
優勝の瞬間はその一球速報で知り、慌てて会議室のテレビをつけて胴上げを見た。
監督が岡田になった。
現役を知ってる人が監督をやる年齢になったんだなぁ、と感慨深かった。
鳴り物入りで鳥谷がやってきた。
若者には頑張って欲しかったが、私の大好きなもっさんからポジションを奪ったので、「鳥谷がセカンドやればいいのにー」と言ったら母には「新人にコンバートはちょっと無理やで」と冷静に言われて納得した。
私は転職した。
仕事はまあまあ忙しかったので、帰るといつも中継ぎ陣かJFKが投げていた。
劇場型の久保田にヒヤヒヤし、球児くんを懸命に応援した。まさかあの高校生がこんなになるとはねぇ、と密かに思っていた。
母は仕事に明け暮れる私をよそに、「赤星また痩せたなぁ、早よう嫁さんもろてご飯作ってもらいー」とテレビに語りかけるのが日課になった。
新しい職場には甲子園の近くに住んでいるという筋金入りの女性がいて、私が子どもの頃に掛布さんが好きだったと言ったら非常に受けた。
実は、こんなに好きなのに甲子園に行ったことがないとその人に言うと、連れていってくれた。
2005年の夏だ。
仕事終わりに甲子園へ駆けつけ、その外観に感動していると、わぁっとものすごい大歓声が球場から響いた。
アニキの先制ホームランを見逃した。
びっくりするくらい今岡がランナーを返した年にも関わらず、スタメンが片岡さんで嬉しかった。
世間の期待は浜中にかかっていたが、ひぃやんが出ていてすごく嬉しかった。
しかも勝った。
ヒーローはアニキと下柳という超レアなお立ち台で、球場観戦に見事にハマッた。
自分でチケットを取って甲子園やら大阪ドームやらに行くようになった。
偶然にも、ライブでよく見ていたバンドが選手のテーマ曲を書き下ろしたこともあって、ライブに野球にと忙しくなった。
片岡さんが引退した。引退試合の日はやっぱり忙しくて一球速報で見た。
悲しかった。
でも『ぶったま!』のレギュラーが決まったので、あっちゃんには毎週テレビで会えるからいいか、と思った。
■渡辺元年、わっぴー誕生
2007年が始まった。
いつの間にかいーくん(井川)がいなかった。
ある日、見たことのないピッチャーが敗戦処理をしていた。
背のちいさな、細身でツリ目のピッチャー。それが渡辺だった。ツリ目が好きな私は記憶しておくことにした。
ひぃやんは代打のひとになっていたが、打っても打ってもセカンドゴロだった。泣けた。
いよいよ球場観戦が増え、ナンバージャージを買うことにした。
私は買うなら背番号入りにしよう、そして金本さんか球児くんにしよう、と思っていた。
ふたりとも阪神に欠かせなかったし、金本さんのここぞという場面で打つ姿に掛布さんを重ねていた。
球児くんは、誰よりも打たれてほしくないピッチャーだった。
だが結局、セール価格になった2003年の8KATAOKAを買った。球場では注目の的だった。
同時期にひぃやんのナンバージャージを買った友人は、逆にどんどん減っていく24ユニに恐れおののいていたが、満塁ホームラン打ったり上原から決勝ホームランを打ったらまた増えた。
夏になって、渡辺がまた投げていた。
気が付けば敗戦処理からうっかり逆転してもらって勝ちがついたりしていた。
あぁ、渡辺がステップアップしている。
嬉しかった。
秋には打たれはじめた久保田の代わりに接戦の場面で出てきた。
得点圏にランナーを背負った渡辺を見て、 「私、この人に打たれてほしくない!!!」 と球児くん並みに強く強く祈った。
渡辺は抑えた。
私は本当に嬉しかった。球児くん並みに嬉しかった。
あ、私この人が好きなんだ。
毎日、私が帰る頃に投げているツリ目の若者がだんだんとステップアップしていく姿に喜びを感じていたことに気づいた。
ある日、延長戦になって、JFKを使い果たしたとき、球児くんのあとに出てきたのが渡辺だった。
これぞステップアップだ。
そんな場面で使ってくれた岡田はんに私は感謝した。
9月末、球場で観戦していると渡辺が出てきた。私はちゃんと抑えて欲しくてどきどきそわそわした。
一緒に見ていた友人が「渡辺くんにあだ名つけてよ」と言ってきたので「わっぴー」と名づけた。
愛着がわいた。
シーズン終盤、鳥谷が怪我をして試合を休んだ。
今までに味わったことのない喪失感だった。そんな自分にびっくりした。私が望んでも望まなくても絶対にショートにいた鳥谷。知らぬ間に好きになっていた。
その年は激しい追い上げに神経をすり減らしたが結局中日に負けた。
でも楽しかった。
初めてのクライマックスシリーズは、母は「連勝か連敗やな」といい、本当に連敗して終わった。
オフになって、初めてひぃやんに間近にお会いできた。じぃんときたけど、不思議な気持ちでもあった。
ピヨとセッキーへの愛が増した。
わっぴーにも遠巻きに会えた。至って普通のお兄ちゃんだった。
おさむちゃんがトレードされた。母はとてつもなく寂しがった。
私もまた、失って初めてこんなに好きだったんだと気づいた。
自分への誕生日プレゼントに、25WATANABEのナンバージャージをネット注文したが、3週間後に新井くんがやってきた。
若干、本気で恨んだ。
オリンピックの予選があり、国際試合の面白さに目覚めた。新井くんがヘッドスライディングを下が届かず、地面でクロールしていた。ちょっと気に入った。
ついにファンクラブに入った。わっぴーはスタバでプロポーズしていた。
■2008年
新井くんが大雑把な性格で、消火器をバッグに入れられたのに気づかず持ち帰ったことを知った。気がついたら、チョー可愛く思えるようになった。
スカパーに入ってキャンプから真剣に見まくった。
ピヨ谷くんの表情の変化がわかるようになった。普通の若者だった。
初めて安芸キャンプも行った。
夜行バスで現地についた朝、友人がスポーツ新聞のサイトを確認すると、渡辺が前日に二軍落ちして鳴尾浜に帰っていた。
魂が抜けた。
開幕戦に行ったらわっぴーが登板した。
岡田はんありがとう、と泣きそうになった。
甲子園の開幕戦、アニキの2000本安打を見るつもりで行ったら、ひぃやんが打った。
前年、一度でいいから生で見たいと思っていたひぃやんのヒット。しかもタイムリー。そのうえお立ち台。友人は泣いた。
ひぃやんは新・代打の神様になった。
新井くんは可愛すぎてタカヒロになり、新井ちゃんはアニキが好きすぎてキモい域に達した。
オリンピックと交流戦について考えすぎた結果、パリーグがめちゃめちゃ楽くなり、野球というスポーツそのものが楽しめるようになった。
一方で阪神は今年こそ優勝すると信じていたので、30試合近く見に行った。
わっぴーの初お立ち台を甲子園で見たけど、負けのついた試合も2試合とも見た。うなされた。
球児くんの救援失敗も全部見た。のろわれているとは思っていない。
貴浩の可愛さと打ちまくりっぷりにオリンピックも超期待したけど、まさかの骨折発覚で泣き崩れた。
本当に優勝する勢いだった分、オフはへこんだけど、本当に楽しい楽しいシーズンだった。
またオフにひぃやんに会えた。前の年よりは不思議じゃなくなった分、可愛く思えた。セッキーは相変わらず可愛かった。
球児くんに直接「今年楽しかったよ」と伝えることができて、本当によかった。
■2009年
とても楽しみである。
目指すはWJF。
右打右投
性別:女
星座:さそり座
血液型:O型
特技:へんなあだ名付け
■DNAがタテジマの幼少期~小学生
大阪の片田舎、典型的な阪神ファンの家庭に産まれる。
負けてる試合は気分悪いので見ない。勝ってる試合は見ると逆転されるので見ない。
そんな家庭。
それでも幼稚園の時点で六甲颪と選手のヒッティングマーチは歌えた。
珍しく試合の中継をたくさん見た年は、カケフさんが打ちまくってキーオが投げまくっていた。
優勝した。
カケフのおかげだと幼心に思った。
優勝が決まる日の試合は、父がいそいそとビデオをセットしていた。ベータなので今はもう見れない。
ふだんは買わない新聞や雑誌を父はたくさん買ってきた。
小学校には阪神の下敷きやら帽子やらの男子がたくさんいた。タテジマの帽子が欲しかったけど親には言えなかった。
ある日、カケフさんがケガをして試合に出なくなった。悲しかった。
真弓さんが4番を打つ姿を見て、あぁこんなすごい人が1番バッターやったなんて、あのときは強かったんや、と思った。
ドラフトで湯舟さんが入った。
阪神に入りたいと最初から言ってくれてたのに球団は小池を指名して外し、「ほんなら最初から湯舟にしとけよ」と小学生ながら思った。
■上から目線の中学生~大学生
中学生になり、亀山・新庄ブームが来た。
部活の先輩が「新庄さまv」とミーハーファンになっていて毎日話を聞かされた。
たしかにかっこよかったし面白かったけど、私は久慈さんのほうが活躍していると思っていたので、久慈さんが新人王を獲ったときは「やっぱり大人は久慈さんをちゃんと見てるんや!」と嬉しかった。
桧山が4番になった。
「たしかに他におらんけど、桧山て!」と思った。
しかし桧山のことは好きだった。
顔が可愛くて喋りも達者なので、母ともども応援していた。でも三振王になった。それでも4番はひぃやん以外考えられなかった。
和田さんの打率くらいしか明るい話題はなかった。
藪くんも応援していたがやっぱり勝てなかった。
そんな暗黒時代に活躍していた関川さんと久慈さんがトレードで移籍になった。本気でびっくりして、移籍がこんなに悲しいことだとはじめて知った。
またドラフトがあった。
今度は高校生ピッチャー藤川を1位指名したので、「この低迷期になんで高校生獲っとんねん!即戦力を獲れよ!」とマジギレした。女子大生とは思えない科白だった。
若い浜中とひぃやんと熾烈なポジション争いが始まった。
私はひぃやんを応援していたが、母はいつの間にか浜中が好きになっていたらしく、「どっちも出てほしいわ~」と苦悩していた。
FA制度ができ、片岡さんが来た。涙の移籍会見に感情移入して、これからよろしくね、と思った。
片岡さんはなんかやってくれそうで超期待したが、わりとすぐケガをした。
私はこの頃に音楽に目覚め、ライブに行きまくるようになった。少しだけ野球から遠ざかった。
■甲子園デビューした社会人
金本さんが来た。来て欲しかったので、土下座したファンにグッジョブ!と思った。
これまた何かしてくれそうだと思ったら、金本さんは本当に大事なところでばかり打ってくれて、なんと優勝した。
この頃は社会人になっていた私は毎日『すぽると』さえ間に合わない時間にしか帰宅できず、あまり中継は見てなかったがネットの一球速報を会社で見ていた。
優勝の瞬間はその一球速報で知り、慌てて会議室のテレビをつけて胴上げを見た。
監督が岡田になった。
現役を知ってる人が監督をやる年齢になったんだなぁ、と感慨深かった。
鳴り物入りで鳥谷がやってきた。
若者には頑張って欲しかったが、私の大好きなもっさんからポジションを奪ったので、「鳥谷がセカンドやればいいのにー」と言ったら母には「新人にコンバートはちょっと無理やで」と冷静に言われて納得した。
私は転職した。
仕事はまあまあ忙しかったので、帰るといつも中継ぎ陣かJFKが投げていた。
劇場型の久保田にヒヤヒヤし、球児くんを懸命に応援した。まさかあの高校生がこんなになるとはねぇ、と密かに思っていた。
母は仕事に明け暮れる私をよそに、「赤星また痩せたなぁ、早よう嫁さんもろてご飯作ってもらいー」とテレビに語りかけるのが日課になった。
新しい職場には甲子園の近くに住んでいるという筋金入りの女性がいて、私が子どもの頃に掛布さんが好きだったと言ったら非常に受けた。
実は、こんなに好きなのに甲子園に行ったことがないとその人に言うと、連れていってくれた。
2005年の夏だ。
仕事終わりに甲子園へ駆けつけ、その外観に感動していると、わぁっとものすごい大歓声が球場から響いた。
アニキの先制ホームランを見逃した。
びっくりするくらい今岡がランナーを返した年にも関わらず、スタメンが片岡さんで嬉しかった。
世間の期待は浜中にかかっていたが、ひぃやんが出ていてすごく嬉しかった。
しかも勝った。
ヒーローはアニキと下柳という超レアなお立ち台で、球場観戦に見事にハマッた。
自分でチケットを取って甲子園やら大阪ドームやらに行くようになった。
偶然にも、ライブでよく見ていたバンドが選手のテーマ曲を書き下ろしたこともあって、ライブに野球にと忙しくなった。
片岡さんが引退した。引退試合の日はやっぱり忙しくて一球速報で見た。
悲しかった。
でも『ぶったま!』のレギュラーが決まったので、あっちゃんには毎週テレビで会えるからいいか、と思った。
■渡辺元年、わっぴー誕生
2007年が始まった。
いつの間にかいーくん(井川)がいなかった。
ある日、見たことのないピッチャーが敗戦処理をしていた。
背のちいさな、細身でツリ目のピッチャー。それが渡辺だった。ツリ目が好きな私は記憶しておくことにした。
ひぃやんは代打のひとになっていたが、打っても打ってもセカンドゴロだった。泣けた。
いよいよ球場観戦が増え、ナンバージャージを買うことにした。
私は買うなら背番号入りにしよう、そして金本さんか球児くんにしよう、と思っていた。
ふたりとも阪神に欠かせなかったし、金本さんのここぞという場面で打つ姿に掛布さんを重ねていた。
球児くんは、誰よりも打たれてほしくないピッチャーだった。
だが結局、セール価格になった2003年の8KATAOKAを買った。球場では注目の的だった。
同時期にひぃやんのナンバージャージを買った友人は、逆にどんどん減っていく24ユニに恐れおののいていたが、満塁ホームラン打ったり上原から決勝ホームランを打ったらまた増えた。
夏になって、渡辺がまた投げていた。
気が付けば敗戦処理からうっかり逆転してもらって勝ちがついたりしていた。
あぁ、渡辺がステップアップしている。
嬉しかった。
秋には打たれはじめた久保田の代わりに接戦の場面で出てきた。
得点圏にランナーを背負った渡辺を見て、 「私、この人に打たれてほしくない!!!」 と球児くん並みに強く強く祈った。
渡辺は抑えた。
私は本当に嬉しかった。球児くん並みに嬉しかった。
あ、私この人が好きなんだ。
毎日、私が帰る頃に投げているツリ目の若者がだんだんとステップアップしていく姿に喜びを感じていたことに気づいた。
ある日、延長戦になって、JFKを使い果たしたとき、球児くんのあとに出てきたのが渡辺だった。
これぞステップアップだ。
そんな場面で使ってくれた岡田はんに私は感謝した。
9月末、球場で観戦していると渡辺が出てきた。私はちゃんと抑えて欲しくてどきどきそわそわした。
一緒に見ていた友人が「渡辺くんにあだ名つけてよ」と言ってきたので「わっぴー」と名づけた。
愛着がわいた。
シーズン終盤、鳥谷が怪我をして試合を休んだ。
今までに味わったことのない喪失感だった。そんな自分にびっくりした。私が望んでも望まなくても絶対にショートにいた鳥谷。知らぬ間に好きになっていた。
その年は激しい追い上げに神経をすり減らしたが結局中日に負けた。
でも楽しかった。
初めてのクライマックスシリーズは、母は「連勝か連敗やな」といい、本当に連敗して終わった。
オフになって、初めてひぃやんに間近にお会いできた。じぃんときたけど、不思議な気持ちでもあった。
ピヨとセッキーへの愛が増した。
わっぴーにも遠巻きに会えた。至って普通のお兄ちゃんだった。
おさむちゃんがトレードされた。母はとてつもなく寂しがった。
私もまた、失って初めてこんなに好きだったんだと気づいた。
自分への誕生日プレゼントに、25WATANABEのナンバージャージをネット注文したが、3週間後に新井くんがやってきた。
若干、本気で恨んだ。
オリンピックの予選があり、国際試合の面白さに目覚めた。新井くんがヘッドスライディングを下が届かず、地面でクロールしていた。ちょっと気に入った。
ついにファンクラブに入った。わっぴーはスタバでプロポーズしていた。
■2008年
新井くんが大雑把な性格で、消火器をバッグに入れられたのに気づかず持ち帰ったことを知った。気がついたら、チョー可愛く思えるようになった。
スカパーに入ってキャンプから真剣に見まくった。
ピヨ谷くんの表情の変化がわかるようになった。普通の若者だった。
初めて安芸キャンプも行った。
夜行バスで現地についた朝、友人がスポーツ新聞のサイトを確認すると、渡辺が前日に二軍落ちして鳴尾浜に帰っていた。
魂が抜けた。
開幕戦に行ったらわっぴーが登板した。
岡田はんありがとう、と泣きそうになった。
甲子園の開幕戦、アニキの2000本安打を見るつもりで行ったら、ひぃやんが打った。
前年、一度でいいから生で見たいと思っていたひぃやんのヒット。しかもタイムリー。そのうえお立ち台。友人は泣いた。
ひぃやんは新・代打の神様になった。
新井くんは可愛すぎてタカヒロになり、新井ちゃんはアニキが好きすぎてキモい域に達した。
オリンピックと交流戦について考えすぎた結果、パリーグがめちゃめちゃ楽くなり、野球というスポーツそのものが楽しめるようになった。
一方で阪神は今年こそ優勝すると信じていたので、30試合近く見に行った。
わっぴーの初お立ち台を甲子園で見たけど、負けのついた試合も2試合とも見た。うなされた。
球児くんの救援失敗も全部見た。のろわれているとは思っていない。
貴浩の可愛さと打ちまくりっぷりにオリンピックも超期待したけど、まさかの骨折発覚で泣き崩れた。
本当に優勝する勢いだった分、オフはへこんだけど、本当に楽しい楽しいシーズンだった。
またオフにひぃやんに会えた。前の年よりは不思議じゃなくなった分、可愛く思えた。セッキーは相変わらず可愛かった。
球児くんに直接「今年楽しかったよ」と伝えることができて、本当によかった。
■2009年
とても楽しみである。
目指すはWJF。
PR
カレンダー
10 | 2024/11 | 12 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
カテゴリー
最新記事
(02/08)
(02/06)
(02/04)
(02/01)
(12/14)
最新トラックバック
プロフィール
HN:
sora
性別:
女性
自己紹介:
生まれたときから阪神ファン。幼児期から六甲おろしと選手別ヒッティングマーチを歌う。初めて好きになった選手は掛布さん。
大人になって甲子園デビューし、観戦の楽しさを知ってディープに転落。甲子園で見た片岡さんの3ランは忘れない。
ただいま渡辺亮投手を力いっぱい応援中。新井貴浩選手が面白くて仕方ない。
大人になって甲子園デビューし、観戦の楽しさを知ってディープに転落。甲子園で見た片岡さんの3ランは忘れない。
ただいま渡辺亮投手を力いっぱい応援中。新井貴浩選手が面白くて仕方ない。
ブログ内検索
アクセス解析